20171206

Instagramで知らない人から「ファーストキッチンにいた◯◯さんですよね?」とメッセージがくる。見覚えの無い名前。ファーストキッチンでは6年弱バイトをしていたけど、辞めたのももう5年近く前だ。一緒に働いてた人達の顔を必死で思い出すけど、こんな人いなかった筈。だとしたらお客さん?お客さんには名前を呼び合うほど仲を深めた人もいなかったし…。意を決して、「覚えてなくてごめんなさい、同じ時期にバイトしてた方ですか?」と返すとどうやらそうらしい。就活していた最後の年はあまりシフトに入ってなかったし、その時期に入った高校生の子だったら、あまりシフトも被らなかったから覚えてないかもしれない。当たり障りなく返信すると「ちなみに●●です笑」と返ってきた。●●は友達である。ゾッとした。怖い。なんで偽名でインスタやってんだよ…。彼はちょくちょく連絡をくれるんだけど、返さないと返事を催促するタイプだから苦手だ。この間もラインをしばらく返さないでいたらツイッターでDMを送ってきた。今度はインスタか。思い切って全部のSNSの繋がりを切ってしまおうとも思ったけれど、思い留まった。こういうところが甘いのかもしれないが。


「あなたは人の心配ばかりするのをやめなさい」「あなたは人に興味がなさ過ぎる」どちらも母に何度となく言われてきた言葉だ。相反しているように思えるけど、確かにそうだ。好きな人のことは心配だ。でも、常に人と一緒にいたいとか何かを共有したいとかは思わない。今日買った本に、このようなことが書いてあって衝撃だった。「常にあなたを心配している人からは一度離れてみる。その人があなたのエネルギーを奪っているのかも。」わたしも誰かの、それも親しい誰かのエネルギーを奪っているのだろうか。でも、心配してアレコレと助言しているつもりが、それによって助言を受けた人の視野を狭めていってることはままある気がする。どんなことでも決めるのは当事者だから、周りにいる者はただ邪魔をしないで見守るしかないのかもしれない。

文字にすると頭の中が整理されるようで楽しい代わりに、言葉が出てこなくなっってきた。お風呂でシャワーを使うと、洗面台の水が出にくくなるようなものか。