20190715

今日はTABFに行ってきた。家から駅までの道で母と母の旦那さんにばったり会った。昨日、仲の良い会社の先輩と母の家に遊びに行ったので、1日ぶり。妹や、祖母や、いとこや先輩や、誰か他人が近くにいないと母と母の旦那さんとうまく笑って話せない。2人はちゃんと、愛ある感じの表情で接してくれるから余計に。小学5年生くらいに戻ったみたいに恥ずかしくて少し惨めな気持ちになる。 地下鉄に乗って清澄白河まで。都現美まで数分歩く。この辺りは通っていた高校の近所で、なんなら都現美がある木場公園は小学校の遠足でみんなで歩いて行くところで、ざっくりとくくれば地元の範囲内に収まるエリアなんだけど、ちゃんと綺麗な街で、ちゃんとした人が姿勢を正して歩いているイメージがあって少しだけそわそわする。 植本一子さんの本とマグネットとzine、白根ゆたんぽ先生のzineとステッカー、香港の本屋さんでzine2冊を買った。中国の本屋さんBANANAFISH BOOKSのブースで売ってたアートブックでとてもほしいのがあったけど(美しいお花のペインティングの本)お店の人がいない為に買えず、とても残念。 そのまま近くでご飯を食べて帰ろうかと思って見てみるもどこもいっぱいで、結局錦糸町に帰る。どうしてもカレーが食べたくて、しかし15時少し前でちょうど休憩に入る時間になってしまい、Googleで調べるとマルイの上にターリー屋があるというので行ってみる。マルイの8階に初めて立ち入ったのだけど、若い人がほとんどいなくて穏やかな時間が流れていてとても居心地がよかった。昨日ブックオフで買った川上未映子の「乳と卵」を読みながら、ゴルゴンゾーラチーズのナンとバターチキンカレーを食べた。乳と卵、初めて読んだハタチくらいの時、いたく驚いて、なんかよくわからないけどとても好きだなあと思って、文庫本を大切に持ってた筈だったんだけど、こないだ出た「夏物語」を読む前に読み返そうと本棚の文庫ゾーンをひっくり返しても見当たらなくて、それで昨日ちょうど先輩と千駄木から西日暮里まで歩く途中にあったブックオフで見つけて、ラッキーと思って買った。先輩におすすめされて漫画も買った。 わたしは自分がとても汚れていると思うことがある。いろんな人から目を逸らされている、目を逸らされるべき人間だと思うことがままある。それは無印良品の店内にいる時、ハイソなセレクトショップにいる時、映画館のロビーで開場を待っている時、他にもいろんなシーンで思う。今日もTABFの開場にいるときに強くそう思った。ここにいたくない、恥ずかしいと思った。芸術を志す人、表現する人はみなすべからく美しい。強い意志を持った目や、固く結ばれた唇、その日の気分を反映させたこざっぱりとした服、その人がまとい、醸す空気、その全てが美しい。それと比べてわたしはどうか。わたしはまるで筆洗いのバケツだと思った。我ながらしっくりとくる例えだ。美しい絵を描くことも出来ず、いろんな絵の具が乱暴に混ぜ合わさってどんどんと汚れていくだけ。いろんなことを欲張って見聞きして知りたくて自分のものにした気になりたいだけで、わたしの中にはいつまでも何もないままだ。新しい化粧品を使い、今っぽい服やアクセサリーを身につけてもわたしの中には汚い水しかない。それでもわたしはこの器で生きていくしかないし、定期的に水を入れ替えるために好きなことをする。音楽や映画や本や絵や漫画や、友達と話すことやお酒を飲むことも、自分を汚してまたクリアーにする、自分を代謝させる為のものなのかもしれない。

はやく暑い夏が来てほしい。