20190921

昨日は高校の友達と新橋で飲む約束をしていた。前々から約束していたから今週は祝日に休日出勤したし、1時間弱早出出勤したけど、また無理な量の仕事を任されて結局1時間残業したのだった。 

夕方頃に先輩に「申し訳ないですけど今日は早く帰りたいです。明日は1日病院なので日曜月曜に休日出勤します」と言ったら、要約すると、この分の仕事は残業して今日中に終わらせろ、自分の都合に合わせて休日出勤するな、休日出勤するならその日にラインで連絡しろ、チームで出勤状況を把握していないのはおかしい、というようなことを言われた。これらの内容を「別に松本さんがそういうつもりじゃないのはわかってるんだけど〜」とか「気を悪くはしないで欲しいんだけど〜」とか過剰にオブラートに包んで話すのだけど、なんか普通にこえ〜と思った。 いやいや普通に終わらない量の仕事を17時過ぎに振られてこっちは譲歩して休みに出るっつってんのに自分の都合に合わせて出勤するなってなんなんですか?って言えばよかったな〜。これはわたしが間違ってるんだろうか?定時後の時間はプライベートの時間なのになんで勝手にわたしの予定を蔑ろに出来るんだろうか。あと休出するのにラインで報告しろってどういう意図なんだろう。土日出るときは金曜日に上司に申請書を提出しているし、帰り際に先輩にも「土曜日出勤しますので」と報告してるんだけど、なぜわざわざ当日にラインをしなきゃいけないんだ?勝手に休日出て事後報告したこともないし、そもそも休みの日に仕事の連絡がくるのが嫌じゃないのだろうか…。先輩は社内だと人当たりがよくて優しい人なキャラだけど、わたしから見るとめちゃくちゃ自己保身が強い割には他人を思うようにコントロールしたい人だと思う。わたしが仕事上で人の上に立ったことが少ないからそう思うのだろうか。上司も先輩も全然好きじゃないから仕事行くのが憂鬱。好き嫌いでしか人を見られない自分が幼稚なことはわかっているけど、願わくば好きな人と仕事をしたい。みんなそう思わないのかな。

今日は10時から頭の病院で心理検査だった。朝起きられなかったけど頑張ってバスの時間に余裕で間に合うように準備をしたのに、バス停に行って、なんか寒いな〜と思って上着を取りに行ってる間にバスが行ってしまった。バス停の時刻表を確認したら乗換案内の時間と違っていて、休日ダイヤが乗換案内に反映されてないやつか〜と思って上着を取りに行ったのだが、見ていた時刻表が違う系統のバスだったのだ。あぁやっぱりわたしは頭がおかしいんだ…と思いながらタクシーに乗った。言問橋が渋滞していて車が進まず、運転手さんが「工事のせいか道が混んでいて…すみません」と言うから「いえ、大丈夫です」と言った。せめて人には優しくしたいけど、優しい言葉の言い方忘れてしまった。 心理検査は左右対象の絵の具のシミを見て何に見えるか答えるものと、1コマ漫画みたいな絵のセリフを埋めるものをやった。大喜利じゃんと思った。次の通院で今までやった検査やテストの結果が出てフィードバックを貰える。そもそも自分はADHDなんじゃないかと思って行き始めたのだが、初診のときに医師にADHDでは無いと思うと言われていた。さらに今日、ADHDの診断は現状と子供の頃からの生育歴を照らし合わせないと出せないと言われた。「今後、通院や投薬治療は希望されますか?」と訊かれたので「薬は飲みません、通院は結果次第で」と答えた。帰りに祖母の家に寄ろうと思っていたけどお墓参りに行っていていなかったので帰った。明日は15時まで仕事して16時からバイト。

20190715

今日はTABFに行ってきた。家から駅までの道で母と母の旦那さんにばったり会った。昨日、仲の良い会社の先輩と母の家に遊びに行ったので、1日ぶり。妹や、祖母や、いとこや先輩や、誰か他人が近くにいないと母と母の旦那さんとうまく笑って話せない。2人はちゃんと、愛ある感じの表情で接してくれるから余計に。小学5年生くらいに戻ったみたいに恥ずかしくて少し惨めな気持ちになる。 地下鉄に乗って清澄白河まで。都現美まで数分歩く。この辺りは通っていた高校の近所で、なんなら都現美がある木場公園は小学校の遠足でみんなで歩いて行くところで、ざっくりとくくれば地元の範囲内に収まるエリアなんだけど、ちゃんと綺麗な街で、ちゃんとした人が姿勢を正して歩いているイメージがあって少しだけそわそわする。 植本一子さんの本とマグネットとzine、白根ゆたんぽ先生のzineとステッカー、香港の本屋さんでzine2冊を買った。中国の本屋さんBANANAFISH BOOKSのブースで売ってたアートブックでとてもほしいのがあったけど(美しいお花のペインティングの本)お店の人がいない為に買えず、とても残念。 そのまま近くでご飯を食べて帰ろうかと思って見てみるもどこもいっぱいで、結局錦糸町に帰る。どうしてもカレーが食べたくて、しかし15時少し前でちょうど休憩に入る時間になってしまい、Googleで調べるとマルイの上にターリー屋があるというので行ってみる。マルイの8階に初めて立ち入ったのだけど、若い人がほとんどいなくて穏やかな時間が流れていてとても居心地がよかった。昨日ブックオフで買った川上未映子の「乳と卵」を読みながら、ゴルゴンゾーラチーズのナンとバターチキンカレーを食べた。乳と卵、初めて読んだハタチくらいの時、いたく驚いて、なんかよくわからないけどとても好きだなあと思って、文庫本を大切に持ってた筈だったんだけど、こないだ出た「夏物語」を読む前に読み返そうと本棚の文庫ゾーンをひっくり返しても見当たらなくて、それで昨日ちょうど先輩と千駄木から西日暮里まで歩く途中にあったブックオフで見つけて、ラッキーと思って買った。先輩におすすめされて漫画も買った。 わたしは自分がとても汚れていると思うことがある。いろんな人から目を逸らされている、目を逸らされるべき人間だと思うことがままある。それは無印良品の店内にいる時、ハイソなセレクトショップにいる時、映画館のロビーで開場を待っている時、他にもいろんなシーンで思う。今日もTABFの開場にいるときに強くそう思った。ここにいたくない、恥ずかしいと思った。芸術を志す人、表現する人はみなすべからく美しい。強い意志を持った目や、固く結ばれた唇、その日の気分を反映させたこざっぱりとした服、その人がまとい、醸す空気、その全てが美しい。それと比べてわたしはどうか。わたしはまるで筆洗いのバケツだと思った。我ながらしっくりとくる例えだ。美しい絵を描くことも出来ず、いろんな絵の具が乱暴に混ぜ合わさってどんどんと汚れていくだけ。いろんなことを欲張って見聞きして知りたくて自分のものにした気になりたいだけで、わたしの中にはいつまでも何もないままだ。新しい化粧品を使い、今っぽい服やアクセサリーを身につけてもわたしの中には汚い水しかない。それでもわたしはこの器で生きていくしかないし、定期的に水を入れ替えるために好きなことをする。音楽や映画や本や絵や漫画や、友達と話すことやお酒を飲むことも、自分を汚してまたクリアーにする、自分を代謝させる為のものなのかもしれない。

はやく暑い夏が来てほしい。

20190512

調子のいい毎日が続くとこれが本当の自分の在り方であるような気がしてしまうけれど、実際のわたしは死にたがっていた10代の頃と地続きなわけで、30代が射程範囲に差し掛かったいまでも眠る前に朝が来なければいいのにと思ったりする。 

数年に一度会うか会わないかの間柄の友達と集まった。その中の1人の些細な一言でわたしは嫌な気持ちになり、ああそうだわたしは彼のこういうところが嫌いだったんだとしみじみと思い出した。本当はその場でじゃあねって帰りたかったけど、2軒目まで付き合った。どうしても笑顔になれないので降ってる雨を睨みつけていたら「そんなに雨がいや?」と笑われたけど、嫌なのはお前だよとは言わなかった。わたしは自分で自分をまともだと信じ切っている人間がどうしても好きになれない。 

忘れない方がいいことをどんどん忘れてしまう。嫌な目にあってもすぐに忘れてしまうから、また同じようなことを同じ人に繰り返される。忘れても無かったことになるわけじゃないのでどんどん嫌いになってるなんて相手は想像もつかないだろう。こうやっていくつかの関係を壊してきたけれど(またひとつ壊そうとしている)これ以外のやり方がわからない。実際にはもっと上手いやり方はいくらでもあるんだと思う。でもまぁそれで終わっても痛みの無い程度の人とも言えるのかもしれない。取るに足る人なんて本当は片手に収まる程しかいないから。 

うまくいかないとかつらいとかしんどいとか全部突き詰めて考えれば自尊心や自己愛の足りなさが原因で、「自分で自分を大切に出来ないと他人を大切にはできない」みたいな文句はあながち間違っていないんだろうなと思う。大切にするっていうのは機嫌をとるとか甘やかすとは違うということもなんとなくわかる。でも自分を大切にする理由がずっと見当たらないから結局同じ次元の悩みを繰り返し繰り返して歳をとっていくんだろうなって思ってる。 

他人にどう思われてもいいと思えるようになったつもりだったけど、「闇が深い」と「愛情が無い」は最近言われて結構傷ついた。闇が深くて愛情が無い人間って終わってるのでは?引きずっている。 

誰かのいいなりになってどうしようもない自分でいたい。神様を信じたり、虚像に心酔したり、薄情な男に騙されたりしたい。何かに心乱されている時ってきっと(薬物などを除いて)一番気持ちいいんじゃないかな。寂しいとか不安だとかを考える隙を一切与えない巨大な何かの襲来をずっと待ち望んでいるよ。


20190312

人と関係していく上で相手に対してなんらかのジャッジメントを下すことをあまりにもしなさすぎるのかもしれない、と思った。基本は誰とでも友好的でありたいし、最初から悪い印象をもつこと自体も少ない気がするから、まぁお人好しと言えばそうなのかもしれないけれど。他人の言動に対して、それは良いか悪いか、アリかナシか(他にも判断の基準はたくさんありそうだが)考えることが出来ない。好きか嫌いかしかない。 

いくら言葉を尽くしてもなにも伝わっていないんだろうなという諦念がいつもあって、色々なことがすぐどうでもよくなってしまう。あ〜いまディスコミュニケーションしている〜と思うと自己嫌悪の波に襲われそうで逃げ出したくなる。自分をさらけ出すような話、わたしはこんな人間ですなんて話は考えれば考えるほどに出来なくて、だってわたしには何もないからなって思う。そういう時はすごく寂しい。触れ合いに逃避するのは禁止って椎名林檎も歌っていたけど、みんな寂しいから誰かを欲しているんじゃないの? 毎日寂しいよ。

考えることをやめちゃいけないけど、考えた先になにがあるかわからなくて、考えたことは言葉にして誰かに伝えなくてはならなくて、その伝える相手は誰でもいいわけじゃなくてあらゆる判断のもとに選んだ自分の大切な人で、って本当になにもかもがめんどくさいな。でも春になって嬉しい最近です。 

20190109

仕事しんどい。チームの方々、嫌な人たちでは無いんだけど根本的に全然好きな人たちじゃないから一緒に仕事をすることがつらい。仕事量が多いから気持ちに余裕が生まれない。まぁこういうときもあると思っていまは耐える。全然思えない!お風呂に浸かってぼーっとしたいんだけど、生理が終わったはずなのに出血が止まらない。金曜日飲みに行くまではがんばるぞ。

書きたいことがあったんだけど、去年書きっぱなしでそのままにしておいたのを残しておくとする。以下がそれです。  


食べることへの興味が薄れてきた。こんなこと言ったら親しい人を心配させてしまいそうだ。美味しい物を食べたら簡単に幸せになれるけど、美味しい物を食べなくても生きていける。チョコレートと韓国のりをひたすら食べてしまう。ニキビが出来る。ニキビ跡がなかなか消えないのがムカつく。代謝してくれ。


週末にデートした人に別れ際にキスをされてからそのことばかり考えてしまう。なんで付き合ってないのにそんなことするんだとか、体目的なのだろうかとか、誰にでもキスするような軽い人なのかとか考えれば考えるほど不利になる。悔しいなぁ。こういう小さな事件が起きれば退屈しないでワクワク過ごせるかと思ってたけど全くそんなことなく毎日は過ぎていく。クリスマスイブに何してるのか聞いてみればよかった。


この間ボヘミアン・ラプソディを観た。洋楽には疎くてクイーンのこともよく知らないけど普通に良かった。人はみな孤独で、わたしも孤独で、ずっと死ぬまで孤独なんだなぁと映画を見終わったときに思った。この映画に限らず、わたしが映画を観るときはその映画の主題とは関係なく、いつも孤独であることを再確認している。気がする。なんかあんまりうまく言葉に出来ないんだけどそういうことです。


ここまで不自由なく生かせてもらってきたから、自分のやりたいことだけ自分で選びとってやってきたつもりだったんだけど、若さや、若さゆえの愚かさに付け込まれてやらされてたこともたくさんあったのかなと思う。いま思えば。こうやって気づけるだけいいのかな。 自分を大切にしてくれない人に自らを明け渡したことよりも、好きじゃない人を好きだと思い込もうとしていたことがよくなかったと思ってる。でも本当の好きってなんだろう。こんなこと28にもなって考えてると思わなかった。 

20181005

地下鉄に乗って座席に座って隣りの人がうとうとしてこちらに寄りかかってくるのが本当に無理。自分でも性格が悪いと思うんだけど、知らない人の頭がもたれかかってくるのめっちゃ汚い!って思っちゃう。男の人だったら席を立つし、女の人だったら何回も座り直して牽制してしまう。今朝5回くらい座り直したけど全然効かなくて本当にやだったな。その人の髪の毛パサパサだったしさ。

全然潔癖じゃないし汚いものも平気で触れる方なんだけど、知らない人間と触れるのってなんであんなに気持ち悪いのか自分でも不思議。例えば数回でも話したことのある人だったら、不快には思っても汚い!とは思わない気がする。わからない。やっぱり汚いかもな。
女の子同士で手を繋いだりふざけてキスしたりするシーン、漫画とかドラマでよくあるけどそういうの1回もやったことない。画的にはいいなと思うけれども、やりたいという気持ちが起きなかったし、そういうノリもわたしの周りでは発生しなかった。今思うとやってみたかったな。
ひとりで暮らし始めて3か月くらい経つけど、人生で今がいちばん精神が安定している。単純に年をとっただけかもしれないが。仕事はしなくていいならしないけど、行きたくなさ過ぎて具合悪くなることもないし、バイトも割と気持ちに余裕をもってやれてる。週6日働いてても時間がカツカツってことはないし、暇と退屈の間をいい感じにふらふらしてる。これで動物を飼ったりしたら幸せ過ぎていつ死んでもいいやって気が抜けてほんとに事故って死ぬかもしれないから、今はまだ仕事してお金を溜めて、もう少しいろんなことに諦めがついた頃に猫を飼える家に引っ越そう。
27歳で出会った人と結婚するらしいからこの連休に運命がかかってるわけなんだけど、バイト行ってダラダラして普通に遊んで終わっちゃうでしょうね。Aesopのスキンケア買っちゃおうかな。最近欲しいものがたくさんあって思うがままに買ってる。先のことなんて知らん。謎の強気。

20180926

性格に難があったり顔が可愛くなくても胸が大きいという点で自信満々な女の人って割といるなぁと思ってる。そういう人ってさり気なく胸を強調する服を着ていたり雰囲気でわかる。少し警戒してしまう。

まぁでもこれって胸に限ったことじゃなくて、顔がいいとかスタイルがいいとかいろいろなことに置き換えられる。努力して得たもの以外で自信を持てるものがあるのはいいことなのかもしれない。わたしは特段これってものがないから妬ましいのかな。
しかし胸が大きいって本当にいいことなのか。普通に邪魔じゃないのか。小さい頃に母に「ママっておっぱい小さい?」と聞かれて「小さいよ!」と答えたら機嫌を損ねてしまったことがある。傷ついただろうなぁと今ならわかるんだけど、母は細身でスタイルがいいとよく人に言われていたし自分でもそう言っていたから、おっぱいが小さい=細くてスタイルがいいと認識していた。世間では「身体は細くて胸が大きい」「豊満だけどくびれがある(ボンキュッボン)」などの体型が理想とされていると感じるけど、わたしはほっそりと手足が長くて胸は少し膨らんでいるくらいがいちばん美しいと思う。もちろん自分のコンプレックスが多分に含まれてるのはわかっているけど、異性の目というものをいっさい排除して考えたときにやっぱり胸の大きさって必要か?と思う。おっぱいは男のものじゃなくて女の身体だし、男のためにあるんじゃないんじゃないの〜と思う時がある。
別に「巨乳が好き!」って男の人が嫌だなってことではない。好みはそれぞれだし、「ちっぱいは正義!」とか言ってる人の方がシンプルにキモいしな。