20171126

今週頭くらいから冬っぽさが増してきて、冬物の服を鎌倉の父の家に取りに行かなきゃなと思っていた。しかしいま住んでる家から鎌倉までは電車で1時間半、そこからバスで15分と徒歩15分はかかるのでなかなか覚悟が決まらず。予定が空いていたのは今日だったのだけど、行くと連絡したのは昨日。しかし父から返信が無い。父はいつも返信が早いので、不安が募る。

父は59歳で、昨年か一昨年(記憶が曖昧)鬱で休職、そのまま退職して仕事をしていない筈だった。今年の夏に訪ねた時には、居間のテーブルに履歴書が置いてあった。高学歴の父は、大手百貨店の食品のバイヤーだった。わたしの知る限りでも何回か転職していたけど、同じ業界にずっといたと思う。それでもまた同じような仕事に就くのは難しいんだろうなとわたしは思っていた。ずっと気がかりだったけど、父とは4歳までしか共に生活していないので、脳内のウェイトはかなり小さい。わたしの家は実質母子家庭だったから、父親としての父の記憶はないのだけど、母が再婚してからはなんとなく気に掛ける事が増えた気がする。父は自ら進んで1人になったから同情する余地は無いのだけど。

それでもなんかあったらやだなーと思っていやいや電車に乗った。夕方に鎌倉に着いて、崎陽軒でお弁当を2つ買ってバスに乗った(シュウマイ臭かった)。小学生の頃か、夏休みに妹達とわたしとで鎌倉に泊まりに行った。その頃は鎌倉の家には祖父と祖母が2人で暮らしていた。駅前の東急でお菓子やおもちゃを買って貰った。普段は母が買ってくれないカラフルなグミを作れるお菓子や、布用のマーカーで、アイロンの熱風を当てるともこもこと膨らむもの。祖父と祖母はずっとニコニコしていた。祖母はわたしの母をいびりまくっていたそうだけど、わたしと妹達にとっては優しいおばぁちゃまだった。父方の祖父も祖母ももう昔に亡くなっている。
父の家に着くと灯りが無く、ドアを叩いても反応が無い。電話は直留守。ラインも既読がつかない。しばらく家の周りをうろうろする。妹が父に電話をしたら、仕事中らしくめんどくさそうに出られたと報告がくる。続いて知らない番号から電話がきて、出ると父(父の電話番号はいつの間にか変わっていた)。珍しく平謝り。ラインは見落としていたらしい。「孤独死してたらどうしようかと思ったよ」と笑った。
疲れたからまっすぐ帰ろうかとも思ったけど、妹と錦糸町で待ち合わせをしてつけ麺を食べた。帰りに父に渡さなかったお弁当を妹に1つ渡して、無印良品でお菓子を買ってあげた。たまには姉ぶりたかったので。