20180904

柴田聡子さんに憧れてメタルフレームの丸眼鏡を買ったんだけど、度が強すぎて10分もかけていられない。コンタクトレンズをした時に視力1.5くらい見えるようにしてるので、それに合わせて作ったのが良くなかったらしい。勿体ないからレンズを交換してもらおうと思いながら時は過ぎ、無料でいろいろして貰える期間はもう終わっちゃった。気がする。そもそも丸眼鏡が全然似合わないから新しいのを買おうと思う。


急に涼しくなって着る物がない。自分でも馬鹿かと思うくらい服を買ってしまうのに、季節が変わる度に着られるものが無くなってしまう。なんで?

生理がくるとその時の痛みの度合いでこのひと月の生活が正しかったかがわかる。8月度は正しくありませんでした。あまり野菜を摂らなかった。激痛に耐えながらやっと反省する。お腹痛いし頭も痛いし。脚のだるさが地味につらい。立っても座っても横になってもだるいんだよな。ロキソニンが効けば大丈夫になる。

この間、中学校の同級生が何人か集まって飲みに行った。その時はそれなりに楽しかったんだけど、後からドッと疲れが出て次の日仕事をしている間も頭がゼリーに包まれたみたいにずっとどよんとしていた。子どもの頃、男子の間の力関係みたいなものがめちゃくちゃ怖かった。わたしは女子なので完全に部外者なのだけど、男子のあの関係性が怖かった。プロレスごっこと称してじゃれ合ってる体でいつもやられてる子は同じだったりだとか、ヒエラルキーの上位に立つ男の子が楽しそうに意地悪する様が本当に嫌で、でもそういう男の子の言うことはどんなことでも、女子でも、賛同し、時に従うことが正しいとされている空気感を思い出したのだった。その力関係は今でも続いているみたいで、本人たちはヒエラルキーの上下に関係なくそれで満足して好きこのんで集まっているらしく、なんか時が止まってるみたいだって思った。先輩にナンパをさせられただのマッサージ屋の女の子と旅行に行っただのの話を聞きながら、この人達って一生こんな感じで生きて行くんだろうなと思うと同時に、あーなんでこんなところに帰って来ちゃったんだろうとうっすら後悔してしまったのだった。

明日から新学期とか、明日から高校生とか、そういうわかりやすい区切りが大人になってからも自動的に発生すればいいのにと思う。年越しとか新年度とか社会人○年目とか、年々どーでもよくなってくるのはただ単に数字が1つ増えるだけだからだろう。そこに意味はないもの。関わり合いになった人とは、その人を好きでも嫌いでも生きてる限り関係は地続きだと思っているので、仕事を辞めるとか異国に移り住むとか能動的にかつ抜本的に環境を変えないと大きな区切りがずっと訪れない気がする。でもそれはわたしがまだ、つらい別れを経験していないからかもしれない。数週間前に父がヘルニアで入院した時、ベッドに横たわる父の顔を見て(ぱぱもままもいつか死ぬんだよなぁ)と思った。親が死んだときちゃんと悲しめるのかな。